COLUMN

病気を受け入れるって、あきらめること?

2026.10.11

「病気を受け入れましょう」

医療の場では、 そんな言葉を耳にすることがあります。

でも私は、

この言葉は少し難しいな、 と思っています。

なぜなら、

病気になったばかりの人にとっては、

「もう仕方がないと思いなさい」

と言われているように聞こえることがあるからです。


受け入れる。

言葉にすると簡単です。

でも実際には、

「なんで私が」

と思う日もあります。

「前の生活に戻りたい」

と思う日もあります。

昨日は少し前向きだったのに、

今日は急に悲しくなる。

そんなこともあります。

人の気持ちは、 一直線には進みません。


だから、

病気を受け入れることを、

「もう何も望まないこと」

だと考えなくていいと思います。

治療を続けてもいい。

良くなりたいと思ってもいい。

悔しくてもいい。

怖くてもいい。

そのうえで、

今ここにある現実を、 少しずつ自分の人生の中に置いていく。

私は、 それも「受け入れる」ということなのではないかと思っています。


たとえば、

膝が痛くなって、 以前のように長い距離を歩けなくなったとします。

「昔みたいに歩けない自分なんて嫌だ」

そう思う日があってもいい。

でも少しずつ、

休みながらなら出かけられる。

杖を使えば安心して歩ける。

遠出は難しくても、 近所の公園には行ける。

そんな方法を見つけていく。

これは、 あきらめではありません。

今の自分でできる暮らしを、もう一度つくっていくことです。


「受け入れられない自分はだめだ」

と思う必要もありません。

受け入れるまでには、 時間がかかることがあります。

そもそも、

すべてをきれいに受け入れられる日が、 来ないことだってあります。

それでもいいのだと思います。

悲しさを抱えたままでも、 人は笑うことができます。

不安を抱えたままでも、 誰かとご飯を食べることができます。

病気が嫌いなままでも、 今日を生きることはできます。


大切なのは、

「受け入れられたか、受け入れられないか」

という二択にしないこと。

今日はここまでなら大丈夫。

今はこれならできそう。

そんな小さな折り合いを、 少しずつ見つけていく。

それで十分なのだと思います。


今日の問いです。

今の自分について、まだ受け入れにくいことはありますか?

もしあるとしたら、

全部を受け入れなくてもいいので、

「今なら、ここまでは付き合えそう」

と思える部分はあるでしょうか。

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